武田雄一のブレイクとスランプ

武田雄一というライダー。1996年にWSBのSUGOにて、スポット参戦でいきなり優勝してしまった。

日本人初の快挙。しかし、それまで、武田雄一というライダーは知らなかった。でも、後に知ることになるが、加藤大治郎ノリックなどと同世代で幼馴染のライダー。

そんな武田雄一は、1997年に青木琢磨がWGPに行った後の全日本ロードレースでのホンダのエースとなった。

その時のライバルは、やはり1996年に8耐コーリン・エドワーズと共に、史上最年少コンビとして優勝し、その後も全日本でいきなり速くなった(印象の)芳賀紀行

武田雄一と芳賀紀行は、1996年にいきなりブレイクした気がする。けど、私はその頃からロードレースを観始めたので、そんな気がするだけで、昔から観ていた人にとっては当たり前の結果だったのかも!?

 

1997年に武田雄一と芳賀紀行は、優勝を争うようなレースを展開していた。しかし、富士スピードウェイでのレースをきっかけに、武田雄一はスランプに陥る。

富士スピードウェイのコースの(当時の)特徴といえば、最終コーナーからゴールラインまでが長い。だから、最終ラップの最終コーナーの立ち上がりで2番手についているほうが、スリップに入り、ゴール直前にスリップから抜け出し、トップの選手を抜き、優勝できるというわけ。2番手につけていれば勝てるというサーキット。

 

そんなサーキットで、芳賀紀行は常にトップで走る。武田雄一は2番手をキープしようとしているんじゃなくて、芳賀の前に出られないのだ。トップで走っていたら優勝はできない。でも、芳賀は常にトップで走ることに拘った。武田もトップに出たいと全力で走る。でも、芳賀の前には出られない。

そのまま、そのレースは2番手で最終コーナーを立ち上がった武田がゴールライン前で芳賀を抜き去り優勝するのだが。。。

レース後のインタビューでさっぱりした表情の芳賀に対し、悔し涙を流しながらインタビューに答える優勝した武田。どっちが優勝したのか分からない表情が印象的なレースだった。

その後、武田雄一はスランプに陥ったように勝てなくなった。